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いわくららしさって | おもしろ発信基地 | 京都 いわくら病院 医療法人稲門会 精神科 老人介護保健施設(老健)訪問看護

おもしろ発信基地

いわくららしさって


どの病院にも、その病院の文化というようなものがあると思います。


いわくらにも、いわくら文化といわれるものが、

たしかにあるような気がします。

 

それが何であるか?というはっきりしたものは分かりません。

 

いい部分もあれば、悪い部分もあるでしょうし

ある人にとってはいいと思う部分が、

別の人には耐えられないということだってあるかも知れません。

 

とにかくそこに何かが存在していることは確かであり

それはまた、人間なら誰でも持っている

普遍的かつ根源的なものであるような気もします。

 

答えは出るはずもないのですが

少し、つらつらと考えてみたいと思います。

 

いわくららしさというものをあらわすものとして

「自由」 とか 「人として」 という言葉がよく出てきます。

 

そう、

自由といえば、いわくらは制服が自由です。

一応決まった制服はあるのですが

私服でもOKなのです。

 

これには、訳があって

それは、「人として」ということと、実は切っても切り離せないのです。



白衣は「治療者」を表しますが

いわくらではスタッフが「治療者」として存在することに

ずっと疑問を感じてきました。

 

「治療する」人 対 「治療される」人

 

そこに、目に見えないけれどはっきり存在する権威とか差別意識

そういうものを捨て、

人の前につくさまざまな形容詞を取り払って

純粋に1人の人として、1人の人に出会い、向き合う

そこから関係が生じ、関係が発展していく中で

互いが変化したり成長したり

そういう相互作用こそが精神医療の原点ではないのか

 

それが、いわくらが私服OKである理由なのです。

 

今では、そこまで権威や差別というものを論じるほど

精神障害に対する偏見も強くなくなってきたかもしれません。

私服で働く職員も、ユニフォームを着る職員も

そこまで意識せずに働いています。

 

けれど、この

「治療者である前に1人の人として」

「患者である前に1人の人として」

ということは、これからも失わずにいたい気持ちです。

 

 

人として、ということは、それぞれ一人ひとりの存在を

ありのままに認めるということであります。

 

私服オンリーでも、ユニフォームオンリーでもなく

どちらでもOK

 

いろいろな人間の、いろいろな多様性を認める



それがいわくらの文化といわれるものの一つかもしれません。







 

いわくら

☆就労継続支援B型施設いきいき・いわくら☆