日本人のこころ
自分が何者なのか…?
時々、自分のアイデンティティを見失いそうになる。
アイデンティティを見失う危機を感じるというのは、いいかえれば自分が高尚な何者かでありたいという願いの裏返しかもしれない。
普段、自分が何者であるかを
まわりにも自分に対しても知らしめることによって
社会の中に自分を位置づけて人は生きているのだと思う。
そうやってみんな、いつのまにか自分を縛りつけている。
それは、役割という名のしがらみであったり
周囲に対する優越感や劣等感だったりする。
だけど、ありたいと願う自分と現実とのギャップにだんだん嫌気がさしてきて
自分はいったい何者なんだ…?と、
アイデンティティを見失いそうになってしまうんだろう。
そういうものが一切ないところで
役割もしがらみも全て捨て去ったところで
ただ一個の存在として身を置き
こころの深いところから湧いてくるメッセージを感じてみる。
頭で考えようとせず、心が発してくるメッセージを
そのまま受け止めて、それ自体を味わってみる。
たとえば雨に濡れるお寺の古い庭。
休みの日の午後を、そういう風景の中で過ごしてみると
日本に生まれてきてよかったなあ…としみじみ感じたりする。
そんな時、自分が太古から受け繋がれてきた
「大和の国」の子孫であることが分かる。
日本人というアイデンティティ。
たとえばそれだけでも十分生きていける。
何者かであろうとしなくても
ただ一人のあなたであればそれでいいと思う。
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